考察のーとろく。ここまで来ると自分がなんだか馬鹿に思えてくるよ・・・。
さて、鬼隠しで説明した、富竹を鷹野が殺した、という仮説について説明していきたいと思います。
さて、富竹を鷹野が殺したとした、どうやって? どうして? 死人が人を殺せるの? 色々疑問が出てきてしまいます。また箇条書きで考えてみましょうか。
○どうやって殺したのさ?
どうやって殺したか。富竹が脳内麻薬の過剰分泌というか被害妄想に至らせるように色々と工作したのではないか、と考えられます。とすると鷹野は恨みをもっていたと考えられます。
○どうして殺したの?
まだ、調査中ですが、ある仮説を思いついたのでまた今度書きたいと思います。
○死人は人を殺せるか?
綿流し最大の謎、生き返る死人。魅音、詩音については説明しましたが、あとでもう少し深く説明するとして、まずは、鷹野三四について。
まず、整理します。準備の日、鷹野が圭一たちに会い、圭一に雛見沢の過去の説明をする→その晩鷹野は絞殺され焼かれ、岐阜で発見される→次の日、綿流し当日に祭具殿へと忍び込む→遺体発見。
さて、焼き殺される、という点でお約束なのが身代わり。注目すべき点は、顔が識別できないということ。そして時代設定。昭和58年ということは、まだDNA鑑定による判定ができない、ということ。この二点により、本当に死んだのは鷹野三四ではないという推測ができます。
どういうことか。つまり、綿流しの前日にいたのは本当の鷹野。その日絞殺され、焼かれたのは、鷹野の身代わり。このとき、歯の照合を行って鷹野と決めているようですが、3年前に親知らずを抜いたのは、鷹野を名乗った身代わり(絞殺された)である、と考えていくとつじつまが合います。祭りの日の鷹野は本当の鷹野。富竹を殺したので、そのあと失踪。こうして、死人が生き返る、などという不可思議な現象がおこるのです。
さて、では何故、鬼隠しではそのようなことが行われなかったのか? する必要がなかったからです。鬼隠しと綿流しの違いを思い出してください。準備の日に圭一たちとは出会ってない、ということです。あ、でも、それじゃ説明になんねえのか・・・。でも身代わりは事実なはず。ちょっと、これは保留で。うはあ、尻切れトンボだ。
○どこからが魅音でどこからが詩音なのさ。
電話したのは詩音、圭一を刺したのは詩音、詩音が落ちたのは詩音のせい(自殺ではない。これは前回説明しました)。最初のどうでもいいほうに戻ると、最初にバイトしていたときに圭一と遭遇したのは魅音、弁当送ったのは魅音、それ以降バイト先であったのは詩音。ただ、圭一が拷問を受けそうになるところがあやふや。詩音であったとしたら、魅音を他人事のように言っていたのは納得がいきます、が死んだのが魅音だから、逃亡したのは魅音、つまり、拷問をしようとしたのは魅音となると、やはり魅音は3つ以上の人格(殺人鬼、普段の魅音、殺人鬼を止めるようなブレーキ役)を持っていたと考えるのが妥当。すると、やはり詩音は「鬼である魅音」の人格を持っていたと考えられます。前回説明したとおりです。
むう、まだ至らないところがあるので、追記します。うーむ。